参加型メディア原論◇2.ロックというもの

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参加型メディア原論
●橘川幸夫

2.ロックというもの

◇ロックというものは、単なる思春期の反抗とか、個人的想いを社会にぶつけるラジカリズムということではない。ビートルズが登場した時に、なぜ、あれだけ世界中の若者たちが同時多発に反応したかというと、そこに新しい方法論があったからである。

◇それまでメディアに登場する人間というのは、特別な才能があったり、過酷な修行研鑽を積んだものとか、つまり芸術家のようなものか、組織がお金をかけて作り上げた人形のようなタレントたちであった。JAZZでもクラッシックでも、僕らは、そうした天才的な演奏や、人工的な輝かしいスターの演技を、舞台の座席で感動したり、熱狂するだけのものであった。

◇しかし、ビートルズは違っていた。才能はもちろんあったのだが、それらは才能よりも先に直截な熱情をもってステージに現れた。それは旧来のスターではなく、観客の僕らが大人たちが準備するより先にステージに駆け上がって演奏をはじめたような気になった。あいつらはスターなんじゃない、僕らと同じなんだ、という感じに、はじめてなれた。リパプールのやんちゃな不良が、暴発すると、次から次へとリパプールや英国各地、世界各地から、同じような人間がステージに殺到した。ビートルズのその後の変遷も、僕ら自身の内的葛藤とパラレルにそこにあった。

◇メディアの上に「他人ごとではない現象」が見えたのである。僕らも、ステージに殺到しなければならない、と思い、僕は、「ロッキングオン」という雑誌に参加した。

◇ジョブズもゲイツも、そうした世界状況の本質的な変化を若い時に感じて、コンピュータの開発を進めていった。コンピュータというものは、本来、国家がさまざまな個別データを管理するためにスタートしたのだが、若いエンジニアたちは、個人が世界に登場するためのツールとしてのパーソナル・コンピューティングの普及に人生を賭けてきた。

◇参加型社会は、与えられたステージの上で、誰かの作った歌をカラオケする社会ではない。まっさらなステージの上に、無名の人間として駆け上り、肉体の底からシャウトすることである。

◇インターネットというステージの意味をもういちど、再確認してみたいのだ。

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このページは、kitが2013年11月21日 06:23に書いたブログ記事です。

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