参加型メディア原論◇1.参加する意思

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参加型メディア原論
●橘川幸夫

1.参加する意思

◇1968年に大学の同級生たちとミニコミをはじめて以来、ひたすら、参加型メディアを追求してきた。参加型メディアとはコミュニティ・メディアである。編集者も読者も、通底した思いをメディアという情報共同体に結集していくことである。願うことなら印刷業者も流通業者も広告関係者も含めたコミュニティ・メディアとはどういうものなのかを追求してきた。

◇70年代に「ロッキングオン」「ポンプ」と紙メディアでの参加型メディアを追求し、ある程度のことは実現出来た。80年代から、コンピュータ通信がはじまり、草の根BBS、ニフティ、インターネットという流れの中で、同じテーマを追求してきた。

◇情報的な参加型メディアは、インターネットの実現と普及において、ほぼ土台は完成していると思う。このシステムの実現には、世界中のエンジニアたちの功績が大きい。それはビジネスにした人もしなかった人も、そういう次元とは別な意味で人類の新しい状況創出に貢献した無名の無数のエンジニアのことを思わずにはいられない。

◇ただ、ひとつ気になることは、システム開発が目的化して、何のための参加型メディアなのかという根本的な理由が薄らいでしまっているのではないか。システム開発はあくまでも手段であり、手段は、確かな目的があってこそ大いなる役割と意味がある。

◇時代はあらゆる領域で「参加型社会」の方向に向かっている。しかし、それはなぜそうなのかを検証しつつ進むべきである。システムだけ参加型にしても、そこに参加する人たちの思いが通底していなければ、それは「参加されられるシステム」になる。頭の良い人ほど、目的を見失って手段の先鋭化をはかろうとする。

◇例えば、法曹界における「裁判員制度」というのがある。参加型社会を見据えて、国民が参加出来る裁判システムを模索したのだろうが、誰も参加したくない意識のレベルで、システムだけ先行しても、参加する人のストレスがたまるだけだ。

◇参加型システムの最大の要諦は、システム構築ではなく、参加する人、ひとりひとりの参加する意思である。

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このページは、kitが2013年11月21日 06:21に書いたブログ記事です。

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