2013年11月アーカイブ

未来フェス大学


◇企画趣旨

1.企画の前提になる考え方

20世紀は組織の時代であった。企業も国家も、組織としての体裁を整え、管理機能を徹底し、効率化とブランド化をはかった。その結果として生まれたネットワーク化という概念は、インターネットとして結実化した。インターネットは、当初、超大国の軍事機能の連携システムとして開発され、やがて大学という知識集約装置のネットワークに進んだ。

その流れの中で生まれてきたのが「ネットワーク型個人」とも言えるべき存在である。近代が生み出した個人は、共同体からスポイルされ、孤立した存在にならざるをえなかったが、ネットワーク個人は、つながりつつある組織を縦横無尽に行き交うことにより、新しい主体性を獲得していった。

当初はインテリやエンジニアたちから始まり、現在においては、多くの人達が、ネットワーク個人という立場を獲得しつつある。それは人類史にとって、ある種の革命であろう。それは政治革命ではなく、産業革命のような産業や生活の基本を変える革命である。

20世紀は、組織と組織の戦いの時代であった。企業も国家も、その流れの中で争い、発展した。しかし、21世紀は、組織と個人との戦いになる。個人とは、ネットワーク個人のことである。

2.大学という組織の変貌

組織のネットワークが進むということは、個別の組織の役割やブランド力に意味がなくなるというこどある。組織は、存在そのものが価値なのではなく、有機的な結合の中での機能でしかなくなる。

2003年にマサチューセッツ工科大学(MIT)から始まった「オープンコースウェア」という運動は、個別の大学の授業というコンテンツを映像公開することにより、特定の学生だけに開かれていた授業を全世界の共有リソースとして活用しようという試みである。この動きは、全世界の大学に広がっている。

この流れの行末は明確である。これまでの社会は、大学という組織に入らなければ信頼する教授の授業を受けられなかった。社会的に評価の高い教授を集めた大学がブランド力を高めることになった。しかし、オープンコースウェアによって、大学という組織に入らなくても授業を聴講することが出来るようになった。現在は、映像による一方的な講義内容のアーカイブだが、やがて、より双方向のイーラーニングシステムが現実化してくるだろう。

組織の意味が変わる。これまでは「東京大学に入りたい」「慶応大学に入りたい」という組織に入ることが若い学生たちの目標であった。それはやがて、先鋭的な学生たちから、何々大学の何々先生に学びたいという意識に変わってくるだろう。大学という組織に価値があるのではなく、コンテンツそのものである教授たちの価値を選択出来るようになる。つまり、教授たちによる「ゼミ」が大学の実体となり、それはやがて「私塾化」するだろう、というのが僕の展望である。

3.未来フェス大学

ということで、「未来フェス大学」を準備する。
以下が呼びかけである。


●大学生の皆さん

◇大学生の皆さん。皆さんの大学にも、つまらない授業の中にも、きらりと光るユニークな先生がいると思います。未来フェス大学では、そうした大学の先生(教授、准教授、講師など)を招いて、特別講義をしてもらいます。自分の大学以外の面白い先生の講座に出てみませんか。(募集要項は準備中ですので、しばらくお待ちください)


●大学の先生へ

ということで、未来フェス大学の講義をお願いします。
講義は、未来フェスCFで参加者を募集し、定員が集まったら開講します。
謝礼はご相談させていただきます。開講場所は、当面は、東京と京都になります。
当面は、既存の大学にて講義をされている教授、准教授、講師の方々に限らせていただきます。
関心のある方は、未来フェス事務局までご連絡ください。

●地域コーディネーター希望の方へ

未来フェス大学を各地で実施していきたいと思います。
都市単位でのコーディネーターを行っていただける方を募集します。

参加型メディア原論
●橘川幸夫

2.ロックというもの

◇ロックというものは、単なる思春期の反抗とか、個人的想いを社会にぶつけるラジカリズムということではない。ビートルズが登場した時に、なぜ、あれだけ世界中の若者たちが同時多発に反応したかというと、そこに新しい方法論があったからである。

◇それまでメディアに登場する人間というのは、特別な才能があったり、過酷な修行研鑽を積んだものとか、つまり芸術家のようなものか、組織がお金をかけて作り上げた人形のようなタレントたちであった。JAZZでもクラッシックでも、僕らは、そうした天才的な演奏や、人工的な輝かしいスターの演技を、舞台の座席で感動したり、熱狂するだけのものであった。

◇しかし、ビートルズは違っていた。才能はもちろんあったのだが、それらは才能よりも先に直截な熱情をもってステージに現れた。それは旧来のスターではなく、観客の僕らが大人たちが準備するより先にステージに駆け上がって演奏をはじめたような気になった。あいつらはスターなんじゃない、僕らと同じなんだ、という感じに、はじめてなれた。リパプールのやんちゃな不良が、暴発すると、次から次へとリパプールや英国各地、世界各地から、同じような人間がステージに殺到した。ビートルズのその後の変遷も、僕ら自身の内的葛藤とパラレルにそこにあった。

◇メディアの上に「他人ごとではない現象」が見えたのである。僕らも、ステージに殺到しなければならない、と思い、僕は、「ロッキングオン」という雑誌に参加した。

◇ジョブズもゲイツも、そうした世界状況の本質的な変化を若い時に感じて、コンピュータの開発を進めていった。コンピュータというものは、本来、国家がさまざまな個別データを管理するためにスタートしたのだが、若いエンジニアたちは、個人が世界に登場するためのツールとしてのパーソナル・コンピューティングの普及に人生を賭けてきた。

◇参加型社会は、与えられたステージの上で、誰かの作った歌をカラオケする社会ではない。まっさらなステージの上に、無名の人間として駆け上り、肉体の底からシャウトすることである。

◇インターネットというステージの意味をもういちど、再確認してみたいのだ。

参加型メディア原論
●橘川幸夫

1.参加する意思

◇1968年に大学の同級生たちとミニコミをはじめて以来、ひたすら、参加型メディアを追求してきた。参加型メディアとはコミュニティ・メディアである。編集者も読者も、通底した思いをメディアという情報共同体に結集していくことである。願うことなら印刷業者も流通業者も広告関係者も含めたコミュニティ・メディアとはどういうものなのかを追求してきた。

◇70年代に「ロッキングオン」「ポンプ」と紙メディアでの参加型メディアを追求し、ある程度のことは実現出来た。80年代から、コンピュータ通信がはじまり、草の根BBS、ニフティ、インターネットという流れの中で、同じテーマを追求してきた。

◇情報的な参加型メディアは、インターネットの実現と普及において、ほぼ土台は完成していると思う。このシステムの実現には、世界中のエンジニアたちの功績が大きい。それはビジネスにした人もしなかった人も、そういう次元とは別な意味で人類の新しい状況創出に貢献した無名の無数のエンジニアのことを思わずにはいられない。

◇ただ、ひとつ気になることは、システム開発が目的化して、何のための参加型メディアなのかという根本的な理由が薄らいでしまっているのではないか。システム開発はあくまでも手段であり、手段は、確かな目的があってこそ大いなる役割と意味がある。

◇時代はあらゆる領域で「参加型社会」の方向に向かっている。しかし、それはなぜそうなのかを検証しつつ進むべきである。システムだけ参加型にしても、そこに参加する人たちの思いが通底していなければ、それは「参加されられるシステム」になる。頭の良い人ほど、目的を見失って手段の先鋭化をはかろうとする。

◇例えば、法曹界における「裁判員制度」というのがある。参加型社会を見据えて、国民が参加出来る裁判システムを模索したのだろうが、誰も参加したくない意識のレベルで、システムだけ先行しても、参加する人のストレスがたまるだけだ。

◇参加型システムの最大の要諦は、システム構築ではなく、参加する人、ひとりひとりの参加する意思である。

はじめに

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未来フェス代表の橘川幸夫です。
長年、参加型メディアを追求してきました。
テキスト、映像、音声などの情報ツールは、インターネットという巨大な投稿箱の成立と普及により、全体像が見えてきました。しかし、情報データが充実し、ネットでのコミュニケーションが盛んになればなるほど、リアルな現実の空間は無機的なものになっています。

リアルな空間と時間を、よりコミュニケーティブなものにしていくための手段として、未来フェスCF(クラウド・ファンディング)をスタートさせます。

このブログは、具体的な作業と、さまざまな人との協議などの中で発見したコンセプトなどを整理して報告していきたいと思います。

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